保田與重郎のくらし

コンテンツ詳細

<写真>

水野克比古・水野秀比古撮影
 写真家の水野克比古が、保田邸に魅せられ、「くらしぶりを写す」という姿勢で3年をかけ撮りおろした詩情豊かな作品90点を収録。
 書斎や床の間、茶の間のほか、書庫や玄関、洗面所や台所など邸内の細部、そして調度品や愛用品の数々、さらに、四季折々の建物や庭、周辺の風景の写真を紹介。

<文章>

「藍毘尼青瓷茶會(るんびにせいじちゃかい)」 保田與重郎
 昭和33年の暮れに身余堂落成、移り住んで間もない昭和34年春に誌された随筆。
 保田與重郎自身が、「くらしぶりをわが文化史上の先人たちに見てもらふ」ために、業平卿・芭蕉翁・兼好法師・西行法師・清正公を自宅に招き空想茶会を催すというユニークな設定。変幻自在の筆で自邸や什器などを紹介しつつ、風雅にくらすということの歴史的意味が述べられている。

「建築家の目から見た身余堂」 山中恵子
 「この建物の計画で、最も大切にされていたことは自然とのつながりだと考えられる」
 かつて改修工事にもたずさわったことのある一級建築士による、建造物としての身余堂案内記。設計者の上田恆次(つねじ)による当時の建築仕様書と設計図を読み解きつつ、建物の独特な建築様式が明らかにされている。

「撮影随感」 水野克比古
 「このような建築に対する施主と設計者の美意識、思想に忽ち心引かれて、身余堂の写真撮影は、単に仕事の一環としてでは無く、学び楽しみながらさせて頂こうと、密かに心を決める」
 本邦随一の写真家が、身余堂に魅せられて撮影に通った3年間の折々を感慨深く振り返った、真心のこもった文章。

「保田邸のこと」 中谷孝雄
 「私はその後、保田邸から眺めた落日の美しさが長く忘れられず、もし私が新京都八景といふものを書くとすれば、イの一番にそれを書くことにするだらうと思つた」
 保田與重郎が若き日より終生変わらず兄事した文人中谷孝雄が、様々なエピソードをまじえつつ語る落成当初の身余堂訪問記。

「鳴瀧秋色」抄 保田典子
 保田與重郎歿後、夫人が語った保田と身余堂にまつわる思い出の記。
 隣接する文徳天皇陵の思い出や「身余堂」という名の由来、保田が終生師と仰いだ佐藤春夫との折々などが綴られている。

「わが新室の真木柱はも」 谷崎昭男
 「くらしの裡に自身の文学観、そして文明観を確かめつつ、万巻の書を読み、万里の道を行くといふ画聖富岡鉄斎の理想を逐ふことを念として懈怠なく生きようとつとめたとき、保田は最後の文人の途を歩んでゐた」
 若くして保田に師事し、歿後には浩瀚な「保田與重郎全集」を編んだ文芸評論家による味わい深い論考。誰よりも保田與重郎をよく知る谷崎氏は、家人ですら知りえない来訪者のエピソードをまじえつつ、保田與重郎のくらしの意味を論じている。