正統について学ぶ

谷崎 昭男

 

 文字どおり国際化社会が到来したという感を,時勢に疎い私さえも深くする。コンピュータの発達により,情報の伝達の上で世界が一体となった状況は,たしかに未だかつて見なかったものである。

 新しい事物に対する好奇心をつねに失わなかった保田與重郎先生がまだ存命なら,インターネットという仕組みにもきっとひと通りでない興味を抱かれたにちがいないと,そぞろその俤を偲ぶなかで,国際化社会と云いながら,私がさて今日の日本で真に国際人の名に価するような人物をどれだけ数えられるだろうかということを考えるのは,明治の時代の国際人として岡倉天心と内村鑑三を先師が挙げていることを思い合せるからである。

 天心と鑑三がよく国際人たり得たのは,要するに両者が日本人だったからであった。「明治の精神」(「戴冠詩人の御一人者」所収)のなかで二人を語った,それが先生の論の簡単な趣旨である。

 国際化社会となって,反ってわれわれは国際人を知らない。少なくとも天心や鑑三に比肩できる国際人を容易に見出すことができないというところに,現代日本の不幸の相が端的に示されているとすれば,今こそ,日本および日本人について説きつづけた保田與重郎の存在が顧みられていいときである。

 国際人であることと日本人であることが,結局ひとつことであるのと同じような形で,保守と革新は先生の裡で同居した。保守と革新の両つを同時に保田先生は体現していた。これも当節の日本に如何にありがたいことであるかは,改めて云うまでもない。

 ひと昔前となる羽田闘争に参加した学生に,先生の著作を懐中していた者があったのは,その間の消息を一面において物語る挿話で,そのことは自身でも伝え聞かれていたが,保守と革新が相反するものでなく,同じひとつのものとしてあるということは,語の正確な意味で「正統」と云われるものの在り方である。

 保田先生の描いた文学を「異端」とは,かりそめにも呼べないことであった。先生の作品にふれることは,すなわち「正統」がどのようなことであるかを親しく学ぶことに他ならず,保田文学を「正統」と位置づけることによって,日本文化の恢復もまたあり得るであろう。

 国際化社会となって皮肉にも国際人を見ないのは,西欧が遥かに遠かった日に,むしろ卓れた翻訳の事業がなされたのと,事情において相通ずると思われるが,例えば土井晩翠による「イーリアス」のような,そういう名訳が行われた往時の文学の模様を作品に色濃く止めた,おそらく保田先生は最後の一人であった。

 芥川賞(120回)受賞作,京大生の小説「日蝕」を選考委員の一人が推称して「重厚」と評しているのを読んで私が殆んどことばを失ったのも,文学の世界が「重厚」なものであるのは,故先生にとって,至極当り前だったからである。

 文学の任は,人の生きようとする気持を奮い立たせることであるという意味のことばが,詩人のエズラ・パウンドにある。私はこれに同じて,そうして保田文学がまさにそのような役割を担うものであること,われわれをして元気たらしめる力を包蔵しているものであることを思うとき,先生の著書とともに羽田闘争に身を投じた学生の心情がいまさらのようにかなしまれるのである。




谷崎昭男プロフィール

  1944年(昭和19年),東京に生れる。早稲田大学 第一文学部を経て,東京教育大学大学院修士課程修了。

 檀一雄主宰の『ポリタイア』に参加し,評論を書 き始める。『保田與重郎全集』(講談社刊,全40巻, 別巻5)の編集に従い,全巻の解題を担当した。

 『定本佐藤春夫全集』(臨川書店刊, 全36巻)に編集委員として加わる。相模女子大学学長。
著書に『花のなごり ―先師 保田與重郎―』(新学社刊)。